結婚指輪を
をはめるシーンは誰の脳裏にも在る光景だと思いますが、それらはほとんど実際の神聖な指輪交換に立ち会った経験からくるというよりも、テレビドラマのワンシーンで観て知っているというくらいのものだと思います。
そして指輪が指におさまる瞬間のドラマで視る光景はすんなり指に入るものですが、実際のテレビ中継されたイギリス王室の結婚指輪をはめるシーンは、なかなか薬指に指輪がはめることができず手こずっているウィリアム王子の姿だったと記憶しています。
指輪は本来きちんと本人にぴったりで日常も使うことが想定されて作られるのですから、そうそうすんなり入るようなゆるいサイズであってはならない、ドラマのようにさっと装着できるはずがないのです。
ましてや、本人が自分の指にはめるならまだしも、それを新郎が新婦の指にはめるのは結構むずかしいものなのです。
練習をしなければ入らないでしょう。そして本番は緊張もあり、指に力が入ればなおはめにくくなっているのだと思われます。
忙しいと言うと、それを言い訳けにするようなニュアンスがあって声高には言えないような場ってあるけれど、でも自分のキャパを知っているのは自分であって、それを他人に勇気をもって知ってもらうのは悪いことではない。
忙しさのものさしは人によってまちまち。自分のものさしで人のスケジュールを押し測っていると齟齬が生じるのも必至。
忙しい、いっぱいいっぱいなのだと、外部へ助けを求められれば、気持はかなり救われるから。何もかもパーフェクトにこなさないといけないとノイローゼになるのは、危険な道。
そしてその忙しさもまんざらではなく、
時間が限られているからこそ、充実した時間の使い方をこころがけるようになるわけで、タスクがまったく存在しなければ、いつやってもいいことだらけで、なんの締切も納期もない仕事であっては、区切りをつける必要すらなく、とめどなく怠惰な時間を送ることも可能になってしまう。
ひとは無人島では花を飾ろうなどということをしない。ましてや、食べられないような花などめでて、育てようとなどしはしない。
ひとは、人間どうし社会において洗練されたいと思うからこそ、身だしなみを整える。そして時間にも限りがあるからこそ貴重な時を有効に使おうという気持ちが生まれる。
自分でタイムリミットを設ける。時間をデザインするということかもしれない。
忙しいひとにぴったりなのがチタンなどの硬いリング。
なぜぴったりかといえば、それは硬い、強いから。
曲がってしまったり、きずがついたりしょっちゅうメンテナンスしなければいけないめんどうな貴金属とは違い
はるかに強いチタン。
黒の結婚指輪
ひとが忙しさを感じるとき、それは時間がタスクで埋まり、なおかつそれを能動的に決めてこなすのではなく、追われてしまうから。時間を自分でコントロールしている実感を持てれば、忙しさの呪縛から抜け出せるのです。
| 何かを決めるのはそのひとの価値観。時間に追われるのではなく、時間を自ら使って楽しむことができればそれは忙しいではなく、有意義な時間となって流れていきます。 ジュエリーも身に着ける、何かの風習だからとか、動かされて着けさせられるのでは価値は生まれません。 ふたりで決め、ふたりの記念のための意味を自分たちで築いてはじめて結婚指輪の意味が生まれ、大切なものとなる。どの指に着けたっていいのです。ふたりさえよければ。 貴金属じゃなくたっていいのです。みんながプラチナを着けているとか、ダイヤは給料の何カ月分だとかそんなきまりなどありません。挙式を前に忙しいと思ってしまったら、それは何か自分から能動的になれない場面がある証拠。自分たちがルールとなって、好きなようにこなしていけば楽しい挙式ができあがるはず。 こんな時間は規則正しくやってくるタスクとは別の次元。結婚を控えているのなら、スケジュールを楽しみながらいっぱいにしたいもの。 チタンには色をそえるという特徴があり、それによりデザインもバリエーションに富んだラインナップを揃えることができる、アクセサリー素材としてはうってつけの金属。 |
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